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えつこの部屋

行動して信じて待つ・・その先にあったもの

違和感センサー

古事記や聖書は誰でも知っている書物

子供の頃から、本はいつもそばにいる友達のようなものだった。

小学生の頃、旧約聖書にはまって何回も読んだ。

モーセが杖を持って、紅海が二つに割れた挿絵は

今もはっきり覚えているくらい。

我が家は仏教で、なぜ聖書があったのかは覚えていないけど。

 

50歳を過ぎた頃、ご縁があって教会へ通い始めた。

毎週日曜日、ゴスペルを歌って、牧師の話に耳を傾けた。

新訳聖書、イエスのたとえ話の解釈を聞きながら

何となく感じる違和感。

2年ほど通って洗礼も受けたけど

違和感は消えなくて、行かなくなってしまった。

 

2年ほど前から今野華都子先生の古事記塾に通い始めた。

大国主命(おおくにぬしのみこと)や、因幡の白兎

子供の頃、絵本で知ったような知識しかなかった私は

予習のためにと、誰にでもわかる古事記 みたいな本を買って読んでみた。

これのどこがそんなに学びになるのか、疑問だらけ。

 

古事記塾に初めて参加して、その内容の濃さにビックリ!

たった1行2行の文章に込められた思いを、1滴残さず

すくいあげるような解釈だった。

自分の人生に照らして涙する方もいるくらい。

 

今野先生のお知り合いに赤塚高仁さんという方がいらっしゃる。

昨年まで聖書を読み解く講座をされていた。

牧師さんではなく、建築会社の社長さん。

20数年に渡ってイスラエルに何十回も行かれている。

彼が言う「足で聖書を読み解く」。

イスラエルの様々な地でイエスの教えを感じてこられる。

彼のお話を聞き、著書を読んで聖書に感じていた違和感は消えた。

 

今野さんも赤塚さんも、学者でも宗教家でもない。

魂と共に神話の世界へ入っていく方から溢れだす言葉は

そのまま私の魂に語り掛けられる。

 

人として日本人として生まれた原点を知ることは

大事なことだと思う。

大事なことだけに違和感センサーをしっかり働かせてほしい。

肩書や知名度に関わらず、自分の魂に響くかどうか。

本も人間関係もすべてに言えることですよね。

 

昨年12月のはじめ、こんなことをメモしていました。

確かな筋の情報だから受け取る。

街で見かけたポスターの言葉では信じられない。

そんな判断基準ではなく、どんなところからもたらされるものであれ

自分に問うた答えは ふと目や耳から入ってくるもの。

それを「直感」で受け取ること。