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えつこの部屋

行動して信じて待つ・・その先にあったもの

一人で踏み出す一歩には たくさんの愛がある

 

セミナーや講演会を主催している男性と話していた時、

男だけの講演会やりたいなって彼が言い出した。

とたんに数人の男性が笑顔で盛り上がってるイメージが浮かんで、

それ絶対いいね!と、私。

 

福山雅治が年に一度男性だけ参加のライブをしている。

その様子をテレビでチラッと見るだけでも、

「ウオォ~」っていう低い雄たけびが

会場の一体感を強烈に感じさせる。

女性がいるときよりも

下ネタも交えて気楽に言いたいことが言えるし、

観客も素直に反応できるのだと思う。

 

女だけのライブ?となるとどうも男性だけの時よりピンとこない。

結果的に女性ばかりというセミナーに参加したことは何度もあるけれど、

この一言でみんなが「ワァ~」とか「キャ~」ってなるのってあんまり思い出せない。

 

女性だけって、1時的に一体感に包まれることはあっても長くは続かない。

10代20代の時は家庭環境、既婚未婚、

出産経験のあるなし、仕事のあるなし、

様々な状況で心に響くものが変化する。

世代を超え、それぞれの状況を越えて一つになるって難しい気がする。

 

女性性の時代に入ったと言われている今、

それはイコール多様性の時代。

一つのことが大きく脚光を浴びるのではなく、

一人一人が求めていることに

真摯に対応する人が増えていくのだと思う。

一人で踏み出した一歩が必要とする誰かのためになる時が来た。

 

先日読んだブログでも、

1950年代はサラリーマンが全体の34%ほどで、

あとは個人商店を含め自分で事業をしている人のほうが普通だったとある。

 

現在、フリーになって成功するのは1%と言われても、

成功がお金でなければ%は大きく変わるはず。

こんな会社、あんな上司、心も体も疲弊していくけど

給料日になれば自分の口座にお金が振り込まれる。

ワクワクして、一生懸命になって、

でも結果が出なければ1円も入ってこない。

この二つを天秤にかけて眺めていても一歩は出ない。

 

この人生、自分の受け持ちは何なのか。

心の底から湧き上がってくるエネルギーを感じることこそ本当にやりたいこと。

人が見てどう感じるかより、まず自分がどう感じているかが大切。

自分の出してる周波数にピンときた人がちゃんと集まってくれる。

 

傍にいてくれる人たちは

みんな自分を映してくれる鏡。

その一つ一つの姿を受け止めて

初めて自分が見えてくる。

自分が整えるべきところは

いつも大切な人が教えてくれる。

「親っていなくなるんだ・・」

今日は、父の命日。

亡くなったのは23年前の平成6年。

 

先月19日のブログに書いた私の入院。

私が入院している間、当時会社の経理を担当していた母が

休みを取って子供たちをみてくれていた。

 

そして一人残された父も、自炊しながら頑張ってくれた。

一人っ子の私には親しか頼れる人がいなかった。

 

父は、毎年12月に健康診断を受けていたけれど

この年はそれどころではないと受けなかった。

翌年12月の検査で末期の肝臓がんであることがわかった。

手術も抗がん剤治療もできないと。

「夏は越せないでしょう。」

元気そうに見える父を前に

医師の言葉を本気にできなかった。

 

父も母も私には何も言わなかったけれど、

もし去年検診を受けていれば

何か治療があったのではという思いはいつまでも消えなかった。

 

夏が過ぎるころになっても大きな変化はなく、

母は本気で別の病院へ行ってみようかと言っていた。

11月になってその日は突然やってきた。

父は立ちあがる事ができなくなった。

病院に連絡すると、ベッドの空きが出たら

すぐに入院できるように待機してほしいとのこと。

 

ところが、父は絶対に入院しないと言い張った。

這うようにしてトイレに行き、少しづつながら食事をとった。

「しばらくこのままやってみるから、一時的なことかもしれないし・・」

母のそんな言葉に、何もできない自分が情けなかった。

 

私達に実家には来ないようにと、連絡がきたのはその少し前。

オシャレだった父は、私や孫に弱った姿を見せたくなかったのだと思う。

 

それからは時折くる母からの電話で状況を知らされたが、

その声がどんどん疲れていくのがわかった。

年末になると、ほとんど眠れないのか掠れた声で

「限界かもしれない、私が倒れそう」

と初めて弱音を吐いた。

 

お正月も実家に行くことは許されず、

とうとう私は電話で父に伝えた。

「入院してほしい、お母さんはもう限界。私が代わることもできないし。」

「入院すれば二度と家へは帰れない。それでも入院しろというのか。」

しばらく沈黙の後電話は切れた。

その数日後父は入院した。

 

「多臓器不全です。会わせたい方がいれば呼んでください。」

ドラマで聞くような医師の言葉。

すっかり細くなってベッドに横たわる姿を見ても

私には「死」は遥か遠いところにあった。

上の子供たちを学校に出すと

3歳の次女を連れて毎日佐倉から都内の病院へ通った。

 

2月9日の早朝、容体急変、母も間に合わず父は息を引き取った。

遺体となって家に帰ってきた父。

明日斎場へという深夜から雪が降り始め、

東京は数十年ぶりの大雪になり、交通網は遮断された。

 

新潟県の雪深い土地で生まれ育った父、

雪に閉ざされた暮らしを嫌って早くから東京に出てきたという。

もう数日孫たちと家にいられる時間をと

雪が助けてくれたのかもしれない

なんて思った。

 

今日も雪がチラついて

重い雲の上で父が微笑んでいるような。

「親っていなくなるんだ・・」

23年前の正直な気持ち。

 

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「そこに愛はあるか!」

 

auのCM,「やってみよう!」

フルバージョンがとっても気に入っている。

昨年の「みんながみんな英雄」も良かった。

あのCMが始まってどれくらいになるのか、

3太郎シリーズにいろいろな脇役が登場して、

キャンペーンを絡ませながら時に無理矢理感もあるけど、

とにかく楽しい。

 

幼い時からの3太郎の友情、

子だくさんの鬼ちゃんとの仲直り、

商魂逞しい乙姫が時折見せる優しさ、

最近は桃太郎が猿犬キジを契約更新してたっけ。

 

このCMの最初から軸になっているのは愛。

 

最初は面白がって観ていた私も

歌手のAIに「みんながみんなエーユー」を歌わせたときは感動した。

CMもここまでくると秀逸な作品。

 

シリーズで長くなればなるほど根底にあるものが現れてきて、軸が問われる。

 

スタートはガッツリつかんだドコモの白戸家も、

途中から何でもありの奇想天外だけのCMになった。

ビックリ箱から次は何を出すのか、

あれからイメージするのは終わりのない価格競争やサービス競争、

観ていて辛くなってくる。

 

会社も、人生も、長くなればなるほど軸は一番大事。

 

それなりに許された若い頃、不可能はないと思えた頃。

次々にやって来る課題や困難、

どん底と思われるところまでいった時、

「初心にかえれ」という言葉がある。

 

初心にかえって自分の軸を再確認する場合と、

初心にかえってみたらそこには儲けたい、

有名になりたいだけの軸の無い自分がいたりする。

どっちであってもそれを知るのが大事なこと。

 

自分の軸は?そもそも軸って何?

「大きくなったら何になりたい?」なんて子供の頃に聞かれた。

なりたい・・これは未来の話、

「貴方はどうありたいですか?」

ありたい・・は「今」が問われている。

 

素直でありたい、ありのままでありたい、

いつも出てくるありたい自分、そこが自分軸に繋がるのかも。

 

私の今は、愛を伝えるものでありたい。

愛を伝える手段のなかに今の仕事がある。

様々なお客様、それぞれの状況に対して、

いくつもの方法があるけれど

売ればいいだけじゃない、愛を伝える方法は限られている。

 

今の自分のありたいは?自分軸はブレていないか。

そんなことを自分自身と対話できるお手伝いをしたいと思う今日この頃。

 

 

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ハートの熟成

今年からブログを始めたのは、

昨年末に

「セルフパートナーズインストラクター」

という認定を受けて

「自分を人生最強のパートナーにしよう!」

という思いを広げていくため。

 

本業の補聴器販売の仕事は大切、

そこで繋がるたくさんの高齢のお客様。

人生の最後に立ちあうことも多い。

この仕事を始めて20年、自分もそれなりの歳になってきた。

 

40代後半くらいから

「10代20代で体験したり、悩んだりしたことってここに繋がってくるのか」

そんな瞬間が幾度となくあった。

無駄なこと、無駄な時間はない。

たとえそれが何をしていいかわからくてさまよっていた時でも、

家庭の事情や健康上の問題で思うように動けなかった時であっても。

 

不定期に書いている私のブログの一言でも、

必要としている誰かに伝わりますように、

自分を責めるのではなく好きになれますように、

そんな思いでふと思った事を文章にしている。

 

いろいろ頑張ってやってみた、でも期待したような結果が出ない。

反応は悪くないけどその先の結果に結びつかない。

ほんとにこれでいいのか、もっと何かやり方があるのでは、

そんな思いになることがある。

 

イメージが湧いてきた。

夜のフライト、 地上に宝石のような光が見える。

その1ヶ所がピカッと輝く。

その輝きが少しずつ増えていく。

それは発信した言葉を受け取ってくれた人たちのハートの輝きだと。

 

その輝きの一つ一つに「ありがとう」というだけで、

あとはリリース、手放す。

そこから先は熟成期間。

同じワインセラーでも同じワインができることはない。

葡萄の出来、樽の具合、その年の天候、出来上がりは神のみぞ知る。

 

投げかけた言葉たちは、一人一人のハートの中で熟成されて、

それぞれのタイミングでアクセスされる。

そんな光景をちょっとウルウルしながら

想像?妄想?している自分がいる(^^)

 

若い頃よりちょっと先が見えた今、

熟成期間の後のワインの美味しさも知っている。

目の前を見ることで精一杯の人達に、

遥か上から見る景色の素晴らしさ、

待つことの大切さを知ってほしい。

 

日曜日の夕食、7歳の孫とのクッキングタイム。

シチューを作って火を止め、蓋をする。

煮込み料理は火を止めてから味がなじんでいく。

この間にサラダの盛り付けしなくちゃなんて思っている私に、

「ばぁばも一緒に呪文言わなくちゃ!」

そうそう、その通りです(^^)

「おいしくな~れ!」

 

日本セルフパートナーズ協会ホームページは、こちら

 

 

道は一つじゃない!

昨日は逆転発想起業塾のメンバーと再会。

楽しい時間を過ごした後のお茶会で、

メンバーである20代の女性からこんな話が。

「昨日知り合いのセミナーに行ったら、

同世代の男性が同じ会社の先輩男女二人に

営業成績が上がらないことでアドバイスを受けていたのですが、

それがすごく高圧的で 

言われていた彼はどんどん顔が上気して

汗だくになってかわいそうだった。」と。

 

ふと、思い出した息子のように思っている男性の話。

彼が、20代後半で大手住宅メーカーに転職した。

配属が決まって支社長からは「とにかく売ってこい!」といわれ、エリア廻りに。

建て替えそうな家に行って名刺を出すと

「家が古いから建て替えろってこと!」

と出てきた奥さんに怒鳴られる。

どこへいっても話しを聞いてもらうこともできない。

先輩や上司は皆忙しそうで、なかなか相談もできない。

辛い日々が続いた。

そんなある日、新築らしいお宅の前で立ち話をしている女性、

近所の人に完成したばかりの自宅の自慢話をしているようだった。

思わず「立派なお宅ですね。」と声を掛けると

「あらそんなことないわよ」とまんざらでもない感じ。

初めて明るい会話を交わせた嬉しさで、

その後も何となくそのお宅に足が向いてしまう。

売り込みでないことがわかっているので、

庭先で奥さんはいつも上機嫌で話してくれた。

そんなある日、

「今週お友達を招いてお披露目会があるのよ、名刺渡してあげるわ。

建て替えを考えている人もいるから。」と言ってくれた。

それから、彼の営業は変わった。

新築のお宅には建て替えを考えている知り合いが見に来るのだと言う事がわかった。

売り込まれる心配がないので、話しやすい、

さらにそのご家庭ならではのこだわりポイントも教えてくれた。

徐々に紹介も頂き、忙しい日々を送るようになった。

 

就活の大変さが毎年ニュースになるけれど、そ

れよりもっと問題なのは中小企業の人材不足。

大手一流企業に殺到する学生も、日本で9割を占める中小企業、

中でも社員100名以下の会社には見向きもしない。

福利厚生や手当を比べたら当然かもしれないけど、

それ以上に仕事に対するやり甲斐や

人としての成長を考えたらまんざら悪くないと思うのだけど。

 

老舗のソバ製造会社の社長に直接伺った言葉。

「心を込めて作ればソバが営業してくれる。

うちの営業マンは販売してくれる百貨店やお店さんにお礼にまわるだけ。」

 

中古ピアノ買取会社の専務さんに直接伺った言葉。

「当社は定年がない。長年働いている社員には高い技術があるから。

そして障害を持った人も一般採用の人と同じ時給で働いてもらってる。

彼らは好きで障害者になったわけではない、

どうやったら楽しく働いてもらえるのか考えるのはこちらの仕事。」

 

日本一の業績の折箱会社、スタッフ130名。

会議なし、売り込みなし、ノルマなし。

「場ができれば全てうまくいく!」

という社長は、めったに会社に顔を出さない。これは知人に聞いた話。

 

そんな会社どうやったら知る事ができるんですか?

そんな声が聞こえてきそう。運は自分で呼び込む。

営業先でも仕事終わりの居酒屋でも

「どうやったらうまくいくんですかね。」

「どんな方法があるんでしょうか」

知りたい、覚えたいという言葉をなるべく出す。

「そんなこと自分で考えろ!」って言っていわれても、

「自分成長したいんですよ。」なんて言ってみる。

教えたい、育てたいが病気のような

中小企業の経営者たちがゴロゴロいることを覚えておいてほしい。

いい出会いを探すなら、間違っても愚痴や不平不満で酔いつぶれている場合じゃない。

 

目の前の厳しい状況は、本当に乗り越えなくてはならないものだろうか。

じっと耐えて頑張りぬくしか道はないんだろうか。

 

例えば、ストレス解消に行ったフットサルに

有能な転職アドバイザーがプレーしているかもしれない。

因みにうちの婿は、フットサルのインストラクターをしていた時に、

今の会社の社長がプレーに来てスカウトされた。

 

道は一つじゃない!

 

日本セルフパートナーズ協会ホームページは、こちら

 

マイナス感情はマイナス?

「ワクワク生きる」

「生かされていることに感謝」

日々そう思いたいところだけど、ひょっこりやって来る「恐れちゃん」。

徐々に私の中で居場所を広げて、

一時は「恐れちゃん」に支配されていた時もあった。

「明けない夜はない」

「夜明け前が一番暗い」

そんな言葉にしがみつきながらも、

北欧のように夜が明けない時期もあるのかと思った事もあった。  

 

人が抱える問題は、「人間関係」「健康」「お金」。

お金の問題が中々解決しないと人間関係に問題が起きて、

そこから自分の身体や精神にも影響してくる。

病気になって働けない、治療費がかさむ、人間関係にも影響する。

職場の人間関係につまずいて健康を害して、収入が減る。

この3大原因の連携プレーは完璧なまでに人にダメージを与える。

 

私が起業した17年前、子供3人を連れて離婚、

借金だらけのスタートにもかかわらず、気持ちは前途洋々だった。

天職と信じた補聴器販売の仕事、人の役に立つという自負、

5年後、10年後の未来もしっかりと頭の中で描けていた。

先輩経営者、サポートしてくれるメーカーと共に

長短期の経営計画も立てて数字も頭に入っていた。

当時私の座右の銘は「負けるもんか!」だった。

 

スタートから1年くらいはよかったものの、

それからの5年は惨憺たるものだった。

売上げが上がらない原因がわからなくて、誰もが首を傾げた。

支払いができない、個人的な借金が増えていく、

子供たちの教育費も年々かさんでいく。

あちこちで頭を下げて、罵倒され、土下座もした。

恐れで眠れなくなった。

うまくいかなかった過去、不安だらけの未来、

完全に負のスパイラルにはまっていく。

隣で寝ている子供の顔を見ながら死んじゃいけないと自分を奮い立たせた。

 

そこからどうやって抜け出せたのか。

 

当時、私の目についたのは「ありがとう」という言葉だった。

五日市剛さん、斎藤一人さん、ホオポノポノ、

手に取る本どれにも「ありがとう」の言葉。

とにかく呪文のように「ありがとう」と言い続けた。

その頃から近くの神社へ毎朝お詣りしてから仕事に行くようになった。

 

そんなある日、ふと気が付いたのは

「自分の人生想った通りになっている」

ということ。

恐れに支配された想いの通りに状況は悪化して、

うまくいかないこと、足りないものだけを見ていた。

「ありがとう」を呪文のように唱え始めると、

子供が元気でいてくれること、

お客様が力になってくださること、

助けられていること、

有り難いことが少しずつ見えてきた。

足りないところだらけの自分を許せなくて、

とことん追い込んでいたのは誰でもないもう一人の自分。

足りているところが見えてきたら、ただただ感謝しかなかった。

 

がんばった自分もいたことにようやく気が付いて、

認められるようになり、できなかった自分も許せるようになった。

足りているということは、

自分の足りない部分を満たしてくれた「誰か」がいること。

誰かの優しさや愛を受け入れられた自分がいるということ。

 

うまくいかなかった時期の私は、

自分が自分がという「我」のかたまり、

自分だけが頑張っていると思うから感謝も薄いし、

うまくいかなければ自分を責める。

差し伸べられている手にも気が付かない。

ここまでの道のりは決して無駄じゃない、

たくさんの学びが私には必要だった。

 

少しずつではあるけれど状況は改善して、

「ある」ものに感謝しながら生かされている。

そんななか、忘れた頃にやって来る「恐れちゃん」

今となっては

恐れに囚われる前に大丈夫だからと気付かせてくれる大事な存在。

「恐れ」というマイナス感情と思われることも捉え方を変えれば、

自分をサポートしてくれる。

 

そうそう、単純と思われそうだけど、

不安や恐れが出てきそうなとき、

必ずと言っていいほどゾロ目か自分の誕生日の数字が目に入る。

前を走る車のナンバーだったり、携帯の時刻だったり。

私は「大丈夫!」のサインと決めている。

見えないところからの愛が今日も降り注いでいると(^^)

「死」に直面した日が甦った

今朝Facebookを開けると、

古事記塾塾生さんの奥様が亡くなられたという投稿があった。

お会いしたことはないけれど、写真から私と近い年齢の方とお見受けした。

お二人は昨年8月に結婚、12月に奥様は末期癌の告知を受けられた。

ご主人の投稿には、早朝自宅で容体が急変し、救急車を呼び、受け入れ先の病院が決まるまで、病院内での様子など細かに書かれていた。

 

25年前の出来事を思い出した。

34歳だった私は12/3の朝、6歳と5歳の子供を幼稚園のバスに乗せ

1歳になったばかりの娘を抱いて家に入ると、

右わき腹でプツッと何かが切れるような感覚があった。

両耳に汽笛のような耳鳴り、そのまま起き上がれなくなった。

いつもなら出勤しているはずの夫がまだ家にいて、大声で私の名前を呼んでいる。

「救急車を呼んで〇〇病院へ行ってもらって」

後はもう話すこともできなくなった。

 

後に夫は、救急車が来るまでの時間、

救急車に乗ったものの受け入れ先が決まらなくて停車したままの時間、

やっと受け入れ先の病院に着いて手術が始まるまでの時間、

それらが気が遠くなる程長かったと言っていた。

 

私は、話すことも目を開けることもできなくて、

自分の身体が急速に冷たくなっていくのを感じながら、

このまま死ぬのかと思っていた。

 

不思議なことに聴覚と脳は正常に機能していて、

先生方の会話や器具を準備する音が聞こえていた。

血圧を測っていた看護師さんが

「先生この人もうだめです!」

って言いながら走り去る足音、そのすぐ後に緊急手術が始まった。

子宮外妊娠による卵管破裂、3000cc以上の輸血を受けて私は奇跡的に助かった。

 

地方都市のその病院に私の血液型の血が3000ccもあったことは奇跡だと、

運の強い人だと担当医に言われた。

退院したのは12/23、

何人分もの輸血を私の身体はすぐに受け入れることができなくて、

数ヶ月はお水を飲んでもトイレに駆け込む、

食べ物の好みが変わったり、

自分の中に何人もの人がいるような感覚、

すべてが落ち着くまでに2年ほどかかった。

 

3週間近く留守をみていてくれた母は限界、すぐに帰ってもらい、

退院の日から子供を抱いて自転車で買い物に出ていた。

嵐のような日常にフラフラの身体で戻っていった。

 

サービス業で休日はもちろんほとんど家にいない夫、

半分育児ノイローゼのような日常に突然「死」が目の前にやってきた。

あまりの唐突さに冷たくなった自分の身体の中で抗う気にもならなかった。

 

今でも、私にとっての「死」は唐突なもの、終活にも興味はない。

期限付きでお借りした身体は、

いつお返しすることになるかわからないので、

大事にきれいにしておこうとは思っている。

「死」が終わりという意識はないけれど、

大切な人の存在が無くなることは大きな喪失感だということはたくさん経験した。

そして亡くなってからのほうが傍にいてくれるような感覚があることも知った。

次の瞬間を約束されている人はいない、

わかっていながら明日のこと、来週のこと、その先を考えながら

「今」を生かしていただこう。

毎朝「今日も生きてる!」って喜びながら。